アマビズセンター長、内山の来し方行く末
(アマビズ(Ama-biZ)センター長、内山のこれまでと、今後の社会を見据えての天草(仮)私案)
天草宝島OBによる「してみゅー会」2017.5.15で話させていただいたものに加筆(最終加筆 2019.10.20)。
わかりづらいので、すこしづつ解説を加えていっているところです。
□時代:(地方の保守的なイメージの中にいた感じ)1966~1989
北陸は富山県富山市に生まれ、田舎田舎と学校で言われ、高校を経、大学をどうしようかという頃には、富山を出たいと思うようになっていました(今は富山LOVEです)。親とは、理学部(宇宙の秘密を知りたい)か工学部(世の中で・就職で役立つ)かで食い違いもありながら、自分を通しつつ、なんとか(授業料の安い)国立に入ることができました。しかし入学してからは授業が難しく、音楽サークルや遊びにまい進して留年。それはそれで地方放送局の報道アシスタントのアルバイトが多くの学びとなりました。音楽サークルの先輩がコンサルティング会社に入ったことから「コンサルティング」というものを知り、また石ノ森章太郎の「マンガ日本経済入門」も面白く(PWがモデル)、ちょうどバブル期の就職学生囲い込みの時代だったため、囲い込まれた合宿所で会った先輩や同期が面白い方々だったので入社を決めました。
△時代:(競争社会) 1989~1996
外資系企業では、プロとは何か、仕事のやり方など叩き込まれながら、日本の大手企業などに投げ込まれながら、企業社会の中、それなりにもがいてました。アメリカ研修では、とにかくそのスケールに圧倒されていました。世界中の同僚とごはんを食べて、グローバルだ~と感動していました。一方仕事では、学びや楽しいこともたくさんでしたが、毎晩終電とハードワーク(力足らずで)。自己嫌悪(鬱だったのか?)で(後で知りましたが)胃潰瘍になってたことも。このままここにいても…という頃にインターネットの黎明期がやってきて、これを機にと辞めました(その後もOBOGの皆様にはお世話になっています m(_ _)m)。
☆時代:(フリーな時代) 1996~2001
趣味ではじめた舞踏(日本的なダンスの流派?)のつながりで、当時先駆けだったマルチメディアの分野に入ることができ、おかげでそれでフリーランスとして生きていくことができるようになりました。一人仕事は逆に時間はじめ自分でマネジメントするなど学びました。そうこう楽しくやっている内に、いよいよインターネットの波がやってきて、ちょうど人と仕事するのが楽しい時期にもなっていて、高校時代に読んでいたロッキンオンの橘川さんと出会って、デジタルメディア研究所に参画、ウェブメディアに関わるようになりました。参加型メディアとして試行錯誤していた時代ならではの面白さで溢れていました。シンクでは念願のゲーム制作にも関われたり、アニメやマンガの仕事にも関われたり。そんなこんなしている内に、ITバブルの波が来て、逆に自分は社会起業・NPOなどに目が行くようになっていったん会社を辞めました。アメリカのフリーイベント:バーニングマン(シリコンバレーの企業の個人も参加してる)に行って帰ってきた2001年、9.11が起こりました。
〇時代:新しい経済・働き方・社会の模索 2001~
9.11~アフガン空爆。何かがおかしい、何かが変わろうとしている、何かしなければ。との想いから、インターネット~メーリングリストで多様な人々とつながり、ピースやエコなパレードやフェスを企画・参加。NGOやNPOの人たちとも知り合い、視野も広がりました。そんな中、妻とも出逢えたり、おかげさまで渋谷FMという地域FMでも30分強くらいの時間をもらってラジオパーソナリティもさせてもらったり、世界もぐんと広がりました。自分が動けば世界も変わるんだという実感を得るようになりました。一方では当時世話になった会社で100人社長インタビューや名だたる先生を集めてのビジネスサミットにも関わりつつ、(表現だけでなく)生き方や仕事も変えようとなり、畑をやったり、買い物を変えたり、住まい方も変えようとエコで健康でコミュニティなコーポラティブハウス(長屋的なエコハウス。町田)にも参画するなど、オーガニックな方向に変えていきました。小平の自宅で生まれた長女はそこのエコヘルシーでもあるコミュニティ、町田の里山で育ちました。その長屋の企画設計会社の社会起業「天然住宅」の立ち上げにも参画。ケミカルな持続不可能な形の住宅ではなく、環境や健康や持続的な価値にも配慮したオーガニックな住宅を志向・挑戦しました。方向の見えてきた2011年。3.11東日本大震災が起こりました。
東京の暮らしは脆く、いろいろな矛盾の上に建っていました。大きな転換と感じ、自分自身の転換と世の転換はリンクしていると感じました。次女が生まれる直前だったので、命を最優先すると行動はとてもシンプル&スピーディになり、3.14には実家の富山に向かいました。途中、京都で自給自足に近い生活を営む友人宅に寄り、安心して降ってくる雪をなめられた感動を今も覚えています。自然の恵みにあやかれば、食(野菜やお米)とエネルギー(薪)のできるだけの自給でこんなにも安心した暮らしができるのだと。富山の実家で次女を自宅出産。大きなストレスを感じた時もありましたが、そんな時に金沢の街中の看板の「今、いのちがあなたを生きている」が目に飛び込んできて、とても楽になりました。今後に想いを馳せる中、たまたまのご縁で訪れた初めての九州、阿蘇。湧き水に感動し、移住者も集まりつつあったこともあって、恵みと人の繋がりがあれば生きていけると移住を決意。南阿蘇に2011年7月に移住しました。畑を借り、薪をいただき、林業や廃校活用の民の生活を学ぶNPO、自然エネルギーのNPO、測量や農業のアルバイト、ITでの遠隔仕事などをいろいろ(半農マルチX、月3万円ビジネス*5)組み合わせながら生きていました。働くことと生きることは、生業とも言いますが、命の交歓として密接につながっていることを日々学びながら、大地や自然の恵みを活用しながら生かさせていただく暮らしを少しはできるようにと生きていました。そんな折、夏休みに遊びに来ていた天草で公募があり、心惹かれ、多くの方のお世話になりながら現在に至ります。
その時その時は偶然に選んでいたり、なんか楽しそうだなと選んでいることから、次の道が開けていることがままあります。ほとんどの重要な局面は「たまたま」だったりします。ワクワクする選択を繰り返して今があり、いつも幸せに生きてきていられています。その中で一番大切なものは人のご縁。日々感謝です。
人類の歴史の1つの見方
サピエンス全史などを参考にしつつ、乱暴な要約ながら自分の来し方と重ね合わせてみると・・・。
〇時代:
狩猟採集時代、ホモサピエンスは認知革命によりフィクションを信じて行動することができるようになり、大人数でのチームワークによってサバイバルすることができるようになりました。生まれる全員が生き残れるわけではありませんでしたが、人口は安定し、1日3,4時間くらいのスローライフで、何万年と自然共存型の暮らしをしていました。すべてに神が宿り、恵みをいただいたら、恩返しをするような生き方をしていました。
□時代:
農業革命が起こり、単位面積あたりの収量が増え、養える人数が増え、富を蓄積することができるようになり、世襲制~身分差が生まれるようになっていきます。少しづつ人類は拡大していきますが、スピードはまだゆっくり。共通の神話や古き良き知恵を、先祖や先輩を敬い、比較的循環型菜暮らしをまだ持っています(特に江戸時代)。
△時代:
未知なるフロンティアを知り、無知なる自分たちを自覚する中で科学革命(ガリレオ~ニュートン…)が起こります。実験を経て、法則を発見、世界への認識を再編成します。工学が生まれ、世界をコントロールしたくなっていきます。エネルギーは増え、人口は増え、富は増え、プロテスタントの倫理から資本主義が生まれ、民主主義、国民、近代社会が生まれていきます。日本も明治維新が起こり、世界大戦を経て、朝鮮戦争から日本株式会社として高度成長期を迎え、学歴社会、受験戦争、競争社会(被支配社会)=ピラミッドがどんどん進んでいきます。冷戦を迎え、宇宙への進出を米ソが競い、とうとう人類は月に到達(1969)。月から地球を見た写真は地球という概念をリアルにしました。産業社会は、成長において地球資源に限界があることを「成長の限界(1972)」で示され、オイルショック(1973)も起こり、資源をめぐっての戦争の自覚も進みます。経済発展は成長へ不安を持つようになりました。
☆時代:
有限の資源以外の世界。仮想デジタルの分野、映画などのコンテンツ、そしてIT技術が開く未来に、投資し、実体経済の10倍以上の経済が生まれます(金融も金との兌換はなくなる、信用創造(銀行は1万円の預金で100万円貸せる)、デジタルマネー)。ITバブル、リーマンショック、などバブルを繰り返すことで経済成長は進んでいきます。1%VS 99%と言われるように、貧富の差は広がりますが、経済成長とシンギュラリティ、AI、など技術成長がさらに進めば自然と解決できるように思われているのではないでしょうか。
経済と技術が成長すればなんとかなるのでしょうか? そしていったいこの進歩の中で私たちは、「幸せ」になっているのでしょうか? 今現在、人類が直面しているのは、地球始まって以来の生命的にも初の課題ばかり。生物として初めて肥満を問題にし、人口増大も、高齢者が多い社会も、自殺~心の問題がこんなに増えたことも。特に農業革命以来、私たち人類、文明国、先進国、和人…は、数多くの命、文化、生態系を破壊してきています(緑の世界史、静かなる大地、苦海浄土…多数)。環境問題ではなく、人間問題です。まずはその自覚から。
ある問題を引き起こしたのと同じマインドセットのままで、その問題を解決することはできない— アインシュタイン
しかし、問題を作り出している根幹が、私たち自身の考え方にあるとしたら、このまま経済&技術の成長を続けてもダメかもしれません。たとえば、ものすごい食の技術革新が起こってものすごい効率で食料が作れたとしても、貧富の差を作る社会の仕組みが今のままではその恩恵は先進国の富裕層だけで、世界中の貧しい人が救われるかというと、、、どうでしょう?。「21世紀の資本」ピケティ氏の r > g は「働くよりも投資のほうが儲かる」と示していますが、それっておかしいですよね。AIが進んでも、多くの人の仕事が奪われるだけかもしれない。
いったい私たちは「幸せ」になってきているのでしょうか? もしかすると「未来への進歩」へのために、「今の私たちの幸せ」を犠牲にしていたりしているのではないでしょうか?
日本を見ると2000年以降は人口減少の時代。歴史上初。これまでの成功体験(高度成長期~バブルの頃の右肩上がり経済でうまくいったやり方が同じように行くとは限らない)はかえって大きな間違いを生みかねません。
現在の課題は、地球大で、相互に複雑に影響しあいながら、私たち自身もその中で関わりながら起こっているので、問題の原因を特定するのはとても難しい。けれど、私たち自身も問題を起こしている一部であることもまた実感できる。お互いが関係しあう大きな仕組み(システム)の一部同士であるわけで。ということは逆に、できることからやっていけば、すべてが関連しあう時代だからこそ、すべてが大きなエコシステムとして関連しあっているゆえに、いい結果も生まれうると考えることができる。誰かを悪者にするのではなく、関係するみんなで知恵を出し合い、できることからやっていけばどうだろう。小さなトライ&エラーをしながら、みんなの繋がりを深めながら、大きく深い変化を創っていけないだろうか。
「成長・発展すれば、いつか私たちは幸せになれる」という場合、「私(という主体)」は、私の心と体を「未来の幸せ」のための道具にしていて、しかし「私」は実は本当の私自身ではなく、多くの場合、誰か(偉い人、テレビ、新聞、周り、空気、欧米…ピラミッドのてっぺん)がそう言ってるからそれに従っていたりするのではないでしょうか。進歩の最先端は、ピラミッドの天辺であり、私は田舎者・途上国・庶民・社員…なのだから(従ってた方が楽)、という幻想・フィクションの中にいないでしょうか。私は私に責任を取れているでしょうか?
「進歩・成長・発展した未来」に幸せが待っているから今を我慢するのではなく、顔の見える範囲でお互いに助け合う、「今ここ」にこそ、「幸せはある・幸せを創りあう」のではないでしょうか。(もちろん、進歩・成長・発展 を否定はしません。優先順位の問題です。)
(震災の時も、まずはお互いの絆ありきということは実感できているはずでは? )
これまでの「進歩・成長・発展」は、地域で自律していた時代から、国~国家を経て、今は国家を超えて金融資本がグローバルをコントロールできるようになってきていて、さらにそれを進めつつあります。その先に幸せはあるのでしょうか?ピラミッドにぶら下がるのをやめて、そこから出て、真ん中を広場にして、その周りに、いろいろな小さな里山里海がゆるやかにつながっているような世界はどうでしょう? コンピュータでいうとインターネットのような中心の無い自律分散協調システム。進歩という前と後ろという一つの物差しがあるのではなく、多様なそれぞれの物差しがあればいいのではないでしょうか。
(ご参考:里山里海資本主義 鎌倉資本主義)
自分たちで、これから生きていくこの地域(生態地域)をベースに考え直すことから始めてはどうでしょう。おかげさまで最近はスマホ(IT~クラウドサービス)があるので、毎日都市に住む必要は既に無い(たまにでいい)。地域にいた方が、恵みは豊かで、QOL(wikipedia:クオリティ・オブ・ライフ(英: quality of life、QOL)とは、一般に、ひとりひとりの人生の内容の質や社会的にみた生活の質のことを指し、つまりある人がどれだけ人間らしい生活や自分らしい生活を送り、人生に幸福を見出しているか、ということを尺度としてとらえる概念である。)は高くしやすいわけです(日々実感しています)。中央(進歩・発展・成長)を目指して競争で命をすり減らすより、ネットという広場で知恵を交換・創発しながら、人材も交流しながら、地域や自分の資源・可能性を引き出し、活用・再活用・循環させながら楽しく生きる道はあるはずです。それを探ることこそが、生きがいや楽しさや仕事になる、そんな時代にしませんか。
〇狩猟時代がサステナブルで、深い神話的世界観
□農業時代はサステナブルな一方、仕組みが固まってきて
△科学時代は固まった中で進歩を求めて競争。浪費型に。
☆自由IT時代は、自由だけどもバラバラで世知辛い
◎は再度共生を選択する
「進歩」という考え方・コンセプトを全否定する必要はもちろんありません。それもまた、ヒト:ホモサピエンスという種の賜りものであり、楽しみと思います。しかし、それだけでもないはずで、それこそ、思春期~青年期の若者ホモサピエンスから、大人の成熟期のホモサピエンスに変わっていく、大きな変革の時代なのかも(にできるかも)しれないわけです。
あえて書くなら、「第2次認知革命」。つまり①人間だけが、自分だけが、仲間だけが、自民族だけが、よければいい、強いか弱いか、発展してるか遅れてるか、成長してるか未熟なかの、グローバルな弱肉強食の競争社会ではそれがサバイバルルールなのだ、という、ゼロサム・性悪説・消費・利己的・レッドオーシャンなマインド・経済から、②一蓮托生・命を預け合い、持ちつもたれつ、関連しあいながら、すみ分けながら、お互いの多様性そのものが価値である、成熟して、1000年先まで持続する、プラスサム・性善説・創造・利互的・ブルーオーシャンなマインド・経済への、私たちのアイデンティティ変化・自己認識の認識変革であり、シェアベースの経済(シェアリングエコノミー:現状は匿名性のある☆型も多いですが)。①から②への意識変化が肝と思います。(生物学的にというとSFになってしまいますが、まずは意識変化から。)
私がもしあなたの境遇で生まれても幸せに思えるような社会、私の行為がお互いの命に影響を与えている以上、大きな命のお互いが一部だと思えるような当事者意識、地球の気象とも関連した大きな生命体として生きている自覚… もしかするとIT技術にも支えられながらそういう社会・世界になるかもしれない。私たち自身の幸せのためには、自らそれを選択する意志こそが今問われているのではとも思います。
狩猟・採集時代の、すべてに神が宿り、命の交歓に感謝していたシャーマニックな時代にも似ているかもしれないので、図としてはぐるりと1周。日本では根底に八百万神的世界観があるとされているので、比較的通じやすい面もあると思っています。世界的にも、ITではLinux~オープンソース、クラウド、ブロックチェーンなど、シェアリングエコノミーのベースとなる世界観は先行しているので、地域のリアルな命がグローカルに交流・シェアする基盤はできていっているわけです。決してきれいごとではなく、功利的に見てもです。
実際は、□△☆〇が入り乱れながら、オーガニックな第一次産業や小商いなどが、グローカルに交わりながら実践していくケースが増えていくと思われます(希望)。
“Fast alone, far together.”―「一人だと速く、一緒だと遠くへ」(アフリカのことわざ)というものもありますが、☆で速さを競う時代から、みんなで遠くへ行く〇な時代。だけどみんなありきだと遅すぎることもあるので、チャレンジャー☆が〇の中でちょっと先導しつつ、みんなで遠くに行くモデルかなと思います。
※ 横道かもしれませんが、意識は行動より0.5秒遅いそうです。実際は体中で考えていろいろ決めて動いていて、意識はそれをモニターしているような感じでしょうか。でも腹落ちしないと人は動かないし、考えながら歩くと転んでしまうように、実感にはあっているかなと。
(我々の意識について 意識は脳が生み出した幻想であると言う仮説 心の哲学まとめWiki ユーザーイリュージョン―意識という幻想 神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡)
意識:中央 、体:地方、も似ているのではないかと思っていて、政治だったりニュースだったりが世の中を動かしているように錯覚しがちだけれども、実際は体や小さな地域、一人ひとりが考え、行動していて、意識:中央 に変に引っ張られなければいいだけのこと。かなと。
※ 移住は増えていて、地方移住 14年度、1万人超え 5年で4倍 毎日新聞など調査 “NHKクロ現:移住1%戦略”は地方を救えるかがわかりやい。
※縮充のコンセプトが一番わかりやすいかも(人口減少といいますが、多すぎた面もあるわけです。縮充(小さくても充実)ともいいます、例えばですが、元気のない9万人よりも、多様で元氣な7万人(例えば)でもいいんじゃないでしょうか。)
縮充する日本 「参加」が創り出す人口減少社会の希望 (PHP新書) 山崎 亮 (著)
※ 投資家の藤野さんのForbesでの投資コラムで、千代田区の著名日本企業よりも地方の優秀な中小企業の方が投資リターンがあるという記事は興味深く。投機でなく、長い目での投資という意味も。
※ITとかとの付き合い方は
9プリンシプルズ:加速する未来で勝ち残るために – 2017/7/6 伊藤 穰一 (著), ジェフ・ ハウ (著), 山形 浩生 (翻訳)
〈インターネット〉の次に来るもの 未来を決める12の法則 2016/7/23 ケヴィン・ケリー (著), 服部 桂 (著, 翻訳)
例えば教育だと、明治より前は寺子屋形式で、共同体に認められたテキストをベースに自習・質問。共同で生産。明治以降の近代は、国民国家の市民として戦争でも戦えること含め、近代教育をレクチャー形式で学んだ。それぞれで生産。グローバルな時代には、ディベート(論戦的な)など、競争の中でどうサバイバルするかのスキルを各自が学んで。それぞれで創造。しかし今は、参加型のワークショップで、みなが当事者として参加し、互いの知恵を引き出し合いながら共に考える中で、(課題自体を自分たちが作っていたのであればそれも含めて)新たな関係性に変化・変容・共同創造していくような、実践的な学びこそ必要でしょう(フューチャーセンター、U理論、POPなども)。
ざっくりですが、□農耕時代には土地(とその神話)を抑えるのがキーだったとして、△の時代にはお金やエネルギーを抑えるのが地政学的に大事になり、☆グローバルな現代には情報戦争の時代になってきているとすると、◎の時代はやっぱり、人・共感・徳・霊性が大切だろうし、そうあってほしい。
以上を背景としつつ、じゃあ例えばこの天草で何をすべきなんだろうと考えると、地に足をつけて、連携しつつも独立できるようなイメージになります。
①地産地消:経済循環、外に出すお金を減らす。長い目で選ぶ。→ 地元LOVE
②輸出:外貨を稼いで貿易黒字に → 恵み(資源)を活かして価値UP。
③投資:そのためにも今ここにある未来(=人)に投資→ 意識変化、教育、移住促進、、、。
「天草のさり里山里海資本主義」 みたいなことを起こせるはず!
(のさり:自然や人からいただいた授かりもの などの意 熊本あたりの言葉)
実際には全部がドンッっと一気にパラダイムシフトするわけではなくて、じわんじわんと変わりつつ(十年くらい?)、ある時に非連続的にグワッと変わるのかなと思っていて、現時点では、いろいろ試行錯誤しながら、全体としては □△☆〇のミックス(ある時点では一つかも)になるのでしょう。大切なのはバランス!
まとめ
